
2018/4/某日訪問
昨年秋に富山訪問時に行こうと思っていた宮崎城とその周辺の城跡だが、台風だかなんだかで天候悪化。予定を切り上げて帰宅した。その心残りがあったので、夏になる前に宮崎城に訪問しておきたかったので、4月に訪問。
富山駅付近で宿泊して朝から泊駅まで列車に揺られた。
泊駅に到着後、東へ徒歩で移動。途中のドラッグストアで食料を確保してまずは横尾城跡へ。しかし横尾城跡についてはここでは割愛。別記事にするかもしれない。
横尾城見学後、東の集落へ下りられるらしいのでそれに従ったら山道が割と崩壊していて、戻るのもしんどいのでそのまま下った。笹川を渡り越中宮崎城へ向かう。途中川沿いに天正の古戦場跡の説明版。三輪権平の館跡もあるらしいとその場で知ったが座標が不明なので調べずに進む。
おそらく笹川を渡った辺りからだろうが、越中宮崎城含めてこの辺りは中部北陸自然歩道となっている。道沿いに進むと越中宮崎城入口の坂道だ。
この坂道の両脇に畑跡と思われる平場が散見されるのだが、元は侍の詰め所らしい。坂の途中にある城山一ノ坂の説明版でそれはわかる。臼ヶ谷、鷲尾のあたりはどうなっているかはその場では不明だったので保留して進む。
つづら折れの道を上る。たまに車が通りかかるが平日だったこともあり少ない。公園化されている越中宮崎城は眺望がよいらしいので、休日だと車の往来は多いかもしれない。
道なりに進むと駐車場に到着。縄張りの中に入ったのかと思い手持ちの佐伯氏の図面を確認したが縄張りではなさそうである。
道なりに主郭方面に進んでいく途中で猿と遭遇。写真は撮れなかった。日光の猿と違い人を警戒しているのでこちらから刺激しなければ問題なさそうだ。
更に進むとトイレがあり、その裏が堀切になっている。改変されているので堀切の全体像は不明だが立派な堀切である。
堀切の先はG曲輪。西斜面にあるらしい畝状竪堀は視認できなかった。B曲輪との間は堀切だったらしいが埋められていて、細い道になっている。
Bには宮崎城の説明版がある。この日は地元の方が掃除をしていたので挨拶をして不審者ではないアピールをしておいた。
B曲輪の上に主郭がある。主郭斜面の石垣は後世のものだろう。
主郭からの眺望はよい。公園としては優秀だ。改変が多いので城跡としては物足りない。
主郭からE曲輪へ(三の丸)。こちらも改変はあるのだが、石垣付き土塁が残存しているのでポイント高め。そしてこのE曲輪からは元屋敷城へとつながるのだが、元屋敷城へつながる場所からは別記事とする。
元屋敷城見学後に宮崎常に復帰。見学を続ける。
E曲輪から日本海方面に下っていくと大きな堀切がお出迎え。しかし堀の中は藪なのが残念。
こちらにも駐車場があるが、主郭まで遠いので眺望目当ての場合はこちらにはこないのだろう。
駐車場から北に進むと若干の高まり。廃れたターザンロープの遊具があるのだが、その遊具の西側に土塁がある。この土塁が残存遺構なのかはよくわからない。図面によれば堀もあるのだが藪になっているのでただの凹みにも感じられた。ターザンロープ設置の際にも改変されているだろうし判断が難しい。そもそも私は素人なので判断できない。
ターザンロープの先には広場(上の山園地)があるが無人。無人なのだが猿はたくさんいた。公園入口で見かけた猿も含まれるのだろうか。猿から距離を置いて広場を抜けた。この広場あたりはもう縄張り外らしいので下山するのみ。あいの風とやま鉄道を利用するつもりだ。ちなみに下山道は中部北陸自然歩道だ。
その下山途中右側至近距離で樹木でがさごそ行ったので驚いてみたらカモシカであった。この辺は熊ゾーンなので警戒していたのだがカモシカで安心した。
そのまま登山道を下っていくと鹿島樹叢という原始林エリアに入ったのだが、日没が近かったので観察せずに麓まで急いだ。またくることがあればじっくり観察したいところだ。灯台もあるようだったがそれも寄れず。
下山すると鹿嶋神社に出た。中部北陸自然歩道から道を外さずに済んだということが証明された。
しかし、越中宮崎駅まで移動しても列車には間に合わない時間。ダッシュすればいけるかもしれなかったが、ダッシュする気力はなかった。越中宮崎駅と泊駅は隣同士の駅なのだが、泊駅のほうが本数が多い。終点でもあり始発駅でもあるからだ。越中宮崎駅に行くのを諦めて海沿いの道を歩いて泊駅へ向かった。
途中、山沿いの壁に階段があった。現地ではかもしれないレベルで脳内にとどめていたのだが、後日座標を確認すると元屋敷城への麓からの登山口かもしれない。確認するために裁縫するには遠すぎるので行かないけど。
麓から撮影した元屋敷城と宮崎城。奥の中継局がある山が宮崎城である。
参考 URL: 中部北陸自然歩道|富山県
参考文献: 佐伯哲也『越中中世城郭図面集 2』
宮崎城地図