
2018/09/某日訪問
島根県浜田市にある潰城跡。三十城訪問後に、浜田駅のロッカーに余分な荷物をおいて軽量化して訪問。おそらくネット上では初の訪問記録になると思われる。
潰と書いて「つえ」という地名なので「つえじょう」がこの城跡の読み方であろう。
潰城遠景。この城跡の歴史は知らないが、浜田の市街地方面への見通しはよい。街道があったとすれば街道監視の役割だろうか。なお、潰城からは浜田城が見えたかは木々が邪魔をしているのでわからなかった。衛星写真で見ると見えそうな位置ではあるが、浜田城のほうが後に作られたと思われるので、浜田城との関係はないだろう。
浜田高校の前を通過して道なりに進むと潰城の麓に突き当たる。墓地脇に山へと続く階段があるので、これが入口だと判断して登る。
階段は頂上は続いておらず、墓または祠のある場所でおしまい。石に何が書かれているか読んでいないので墓地なのかどうかもわからない。
階段が終わってからは道がない。見上げると谷になっていて上の方が見える。
谷間を登ってもよさそうだが、倒れた竹が邪魔そうなので左右どちらかの斜面を登ったほうがよさそうだった。最近この山は地籍調査が行われたらしく、あちこちで新しめの”地籍調査”の文字入りピンクリボンがつけられていた。左右どちらの斜面にもついていたのだが、向かって左(北側)の斜面のほうが傾斜がゆるそうなのと、若干の踏み跡が見えたのでこちらから登ることにした。
軍手をロッカーの荷物とともに置いてきてしまったことを後悔しつつ、枝や幹をつかみながら登ると平場に出た。この平場は『島根県浜田市遺跡地図Ⅰ(浜田自治区)・仕切遺跡』では範囲外となっているのだが、人の手が入った平場に感じる。私の中では曲輪ということにしておく。
山頂を目指す。ゆるやかな斜面。
腰曲輪に出た。北西から南西にかけての曲輪で、1周はしていない。半周もしていない気がしたが、これを記している段階では確認できない(記憶あいまい)。
腰曲輪から登ってこなかった斜面を見下ろした。ここを下らなかったのでわからないが見た感じでは平場はなさそうである。
主郭の切岸。正面からの撮影なので角度が分かりづらいが、場所を選ばないと簡単には登れない。
主郭へは南西の斜面が緩やかだったので、南西から登った。主郭は狭い。この城跡自体狭いので、居住性は低い。物見的役割だろうか。
主郭東側。それなりの角度の切岸からの堀切。堀切は私の感覚では3本あったが、うち2本は薄めなので、そう見えただけかもしれない。しかし一番東側の1本は左右が竪堀につながる堀切であった。
主郭側から1本目の堀切。薄い。
2本目の堀切。薄い。
3本目。よその城跡に比べたら薄いかもしれないが、この城跡は明瞭な堀切。この写真は東側から西側に向かって撮ったもの。
3本の堀切から左右の竪堀。なお、どちらが右か左か覚えていない。
その堀切の先もちょっと歩いたが、藪になりつつあるし、自然地形ぽかった。『島根県浜田市遺跡地図Ⅰ(浜田自治区)・仕切遺跡』の指定範囲外でもあったので深追いせず引き返した。
わざわざ寄るほど見所があるわけではないが、保存状態がよい城跡である。私の写真だとピンボケが多いし腕もよくないので、上手い方に是非レポートしてもらいたい城跡だ。
潰城位置
潰城登り口
参考文献: 『石見の城館跡』、『島根県浜田市遺跡地図Ⅰ(浜田自治区)・仕切遺跡』
GPS ログ