
2014/1/某日訪問
この日は早朝に掛川駅からバスに乗り高天神城へ。その後横須賀城→岡崎の城山→馬伏塚城というルートだった。横須賀城への移動で大東から横須賀へのバスに乗れず徒歩で移動したのだが、これがしんどかった。バスの本数が少ないので待っていられなかったので歩いたのだが横須賀城の段階でヘロヘロ。馬伏塚城にたどり着いたころには日没が迫っていた。大東から横須賀方面へのバスは今も走っているのだろうか。
岡崎の城山方面から歩いてきたので、私は南側の曲輪から訪問することになった。馬伏塚城周辺の低地部分は田畑が多いが、かつては沼地だったという。縄張り図を見ると曲輪は水堀によって囲まれている。平城とはいえ防御力は高そうだ。
馬伏塚城は大きく分けて南側から、南曲輪群、北曲輪群、伝居屋敷という区画に分かれている。北に行くほど宅地化が進み残存遺構が少ない。
南曲輪群遠景。南曲輪群には神社あるため、保存状態がよいほうだ。木々が茂っているあたりが神社である。
縄張り内に入る。写真の一段高いあたりは舟入で船着き場として使われていたようだ。低いところは水堀跡の田畑。
神社近くに馬伏塚城の説明板。
神曲輪には民家。ただし現在のパンフレット(リンク先の PDF)を見ると民家はなくなっているかもしれない。整備されるのだろうか。
本曲輪にあたる神社。ここに城跡の石碑がある。
鳥居をくぐったところ。曲輪感のある段差だ。
お社のある段に上り、遠方を望む。それほどの高さはないのだが、割と見晴らしがよい。
南曲輪群から北曲輪群へ。こちらは宅地化されているのだが、土塁も残っている区画だ。
曲輪の切岸跡か。
北曲輪群の堀切跡。今は道路になっている。西日の逆光でかなり暗く撮影されてしまった。
土塁の標示が立てかけてあった。
この標示を撮影していたら、軽トラにいた方が出てきて声をかけられた。具体的な内容は忘れたが、城巡りをしていると言ったら、この土塁のある家の人に声をかければ見せてくれるよ、とのことだった。
外にいるときに声をかけるならまだしも、そうでない状態で家の人に声をかけるというのは躊躇される。軽トラにいた人が協力してくれるのかなぁ、と思ったのだがそんなことはなくて、一人で交渉することになった。
若干南側に戻り、民家の呼び鈴を鳴らすと暫くして中から人が出てきた。土塁を見せてもらえるか、と頼んだら許可された。写真撮影の許可も得た。堀切跡からの土塁の写真はネット上にもあるのだが、土塁の内側からの写真はレアであろう。それがこちら。
静岡らしく柑橘類がなっていた。
そして土塁に上らせてもらえた。
幅広の土塁である。かつては畑としても使っていたようなことをおっしゃっていたはずだが、数年前の記憶なので自信がなくなっている。
ネット上にレポートの多めな城跡だが、わざわざ記事にしたのは北曲輪群の土塁の内側を見学できたからである。所有者の方、見学させていただきありがとうございました。
伝居屋敷の歩いたが宅地かつ堀切も埋められていたので写真は撮らなかった。なにより日没が迫っていたからである。
馬伏塚城位置