
2018/1/某日、2019/3/某日訪問
埼玉県内ではメジャーな中世の城杉山城の近くにあるのが谷ツ遺跡城郭遺構。関越道嵐山小川インター工事に伴い発見されたようだ。
2018年1月に最初の訪問。座標は分かっていたのだが、どこからとりつけばよいのかわからず周囲をうろうろ。沼側のガードレール脇から入れそうなので入ったのだが、斜面の藪がそれなりにきつく、このときは縄張り図も持っていなかったので撤退。また別の機会にすることにした。埼玉県内ならば他県よりも再訪リスクは低い。
遺構には到達できなかったのだが、参考資料として2018年1月の写真を掲載。
民家の西側、関越道寄りに遺構へと続くスロープがあるのだが、鎖がかかっておりここからの立ち入りは憚れる感じがした。
スロープを上らずに道なりに進む。現在は切通のようになっているが、ここは尾根だったのだろう。道路建設により焼失した個所と思われる。縄張り図を見ると尾根には堀切と竪堀があったようだ。
ガードレール近くにリボンがついていた。
ここから入れそうだ、ということで進入。獣道っぽい踏み跡があったのでそのまま進んだが山頂の曲輪方面には繋がっておらず。踏み跡を無視して登るしかなさそうだった。が、さきほども記したように縄張り図も持っていなかったので深追いせず撤収した。なお撮ったつもりの写真は残っていなかった。
そして2019年3月縄張り図を入手したので再訪。
遠景。
スロープの写真。2018年の頃より草木に覆われている。そのうちなくなりそうだな。
前回と同じくガードレール脇からとりついた。こちらの藪化も進行していた。
斜面の様子。笹薮なので見通し悪いし歩きづらい。
ガードレール方面の斜面の方がまだ歩きやすい藪だったのでそこから登る。道はない。
平場に到着。低い土塁状の遺構があるのだが、草木が邪魔でわかりづらい。
主郭らしき場所には石壇。麓の家の氏神様らしい。
基本藪なのであまり見所もなし。石壇辺りから民家への道は繋がってそうだったが、その道は辿らなかった。
帰りはスロープの方へと出てみようということでそれらしき場所から出た。
写真だと前方が開けてよさそうだが、足元は石面のツタ状の植物。枯れてもなお歩行の邪魔をしてくるしぶといやつだ。足にからまるも脱出。振り返った写真がこれ。
外からだと中には入れそうな雰囲気はない。
杉山城のついでに藪漕ぎしたい、という方にはオススメの城跡である。
参考文献: 梅沢太久夫『埼玉の城―127城の歴史と縄張』
谷ツ遺跡城郭遺構位置
谷ツ遺跡城郭遺構とりつき