
2014/12/某日訪問
長野県茅野市にある齢松山城への訪問は一度失敗している。2013 年の夏に訪問したのだが、山の中で方角をミスって全然違う方向に進んでしまった。その時は縄張り図も持っていなかったこともあり、後日出直すことに決めた。
その出直しが 2014 年の 12 月。その日は塩尻から木曽福島に向かったのだが、朝から季節外れの大雪。
塩尻辺りは夜間に降って列車に乗る頃は止んでいたのだが、木曽谷に入ってからは真っ白な世界。
木曽福島で木曽福島城を訪ねるつもりだったが、登山道が雪で埋まっており諦めた。
輪かんやらゴアテックスの装備などは持っていたが、登山道が分からなくなるくらい降るとは思っていなかった。雪の重みで木々や竹などがしなってもおり、雪山馴れしていない者にはたとえ木曽福島城くらいでも遭難の危険が伴う。
ということでわざわざ木曽福島まで行ったけどそばを食べて移動(そば旨かった)。予定では木曽福島城を見て18きっぷで帰宅というものだったが、時間が余っていたのと、諏訪湖辺りに出たころには降雪も収まっていたので茅野で下車。寄るかもしれないということで縄張り図を持っていた齢松山城へリベンジ。
駅前の茅野市役所通りを東に進む。
市役所東交差点辺りで北上し、国道 152 号を東に進む。ファミマの裏山辺りが齢松山城である。
あとから知ったがこのファミマ辺りからも登れるらしい。当時は知らなかったのでファミマを過ぎて高い青い案内標識辺りから永明寺山遊歩道から登った。以前も使った遊歩道である。
誰かの踏み跡があった。遊歩道上に祠があるので、そこへの参拝客だろうか。
その祠。
初回訪問時はこの祠から北へ向かってしまい失敗。正解は南西の尾根へ向かう、である。しかし、南西尾根への道は足跡なし。獣の足跡すらない。
ともあれ新雪を踏みしめて進む。この辺りを歩いているときは気温も上がり、木々に積もっていた雪も解けて水となり、ぼたぼたと私に降り注いでいた。止んでいるのにゴアテックスジャケットのフードはかぶっておかないといけなかった。
若干の起伏はあるが代わり映えのしない景色の中を進む。
そして城内との境界線である堀切に到達。堀切の先は二郭。
残雪がある城跡にいくつか行ったことがあり、そのときは残雪のおかげで堀の類は凹凸具合がわかりやすくなってよかったものだが、まんべんなく降り積もった直後だとわかりづらいということを知った。
その中でもわかりやすい角度。
堀切から続く竪堀。
二郭から主郭方向を見たところ。南東側の竪堀。ふたまたに分かれている。
主郭と二郭の間の堀切。堀切なのだが降雪でフラット気味。
堀切から主郭を見上げたところ。割と急。
上りやすい場所はないかと北側に回ったところ。
北側は段曲輪状になっていたので登りやすそうだ、と判断。
しかし、積もった量が多くて斜面に足をかけるたびにずるずると滑り落ちていく。切岸の防御力を実感。木々もあるのだが、本数も少ないのでうまく利用できず。
一度下りて別角度から登ることにした。
どの方角かは忘れたが、木々が多い方角があり、木々のおかげで積雪量の少ない切岸があった。
こちらは木々をうまく使ったこともあり登ることに成功。
これが主郭の写真。
主郭の土塁。
主郭の西にも竪堀があるが、手元の写真だとどれがそれなのか不明状態だったので掲載はしない。
訪問した前年に設置されたばかりらしい説明板。説明にある通り小規模だが宅地から近いわりに保存状態のよい城跡である。
説明板のないころにつけられただろう城跡名の記されたリボン。
鬼場城を訪問する際に一緒に回るとよいであろう城跡。東にある鬼場城と連携していたんだろうね。
齢松山城跡位置
齢松山城跡登り口位置