
2016/09/某日 2016/12/某日訪問
岡山県倉敷市にある南山城跡。治水工事の関係で消滅する、という話を聞いたので2016年9月に訪問してきた。9月とはいえ、まだ暑さの残る時期で縄張り内は虫が飛び交っていた。そのためシャッターを押すときに肌の露出部分を攻撃されるのでピンボケ写真が多発。せっかく訪問したのに出来の悪い写真が多くなってしまった。そのためこの記事内ではその中でもまともなものを選んで掲載することになった。現在では発掘調査も進み、現地説明会も実施された。説明会のレポートを見ると私が訪問したときの様子とは全く異なる状態である。木々がなくなり、竪堀などもかつての姿を見せているようだ。
訪問から2年近く経った 2018 年の夏、大雨で小田川が氾濫。堤防も決壊し集落が水没した。城跡を工事で壊すのはもったいないと思っていたが大きな被害が出たエリアである。もったいないという言葉はこの地では使えない。治水工事がうまくいくことを祈る。
では訪問記録。
岡山駅付近の宿に泊まり、翌日訪問。最寄り駅は清音駅。
直線距離なら近いのだが、何回か川を渡ることになるため、駅からでも結構歩くことになった。
まずは高梁川を渡る。
橋から南山城が正面に見えた。
土手を南に進む。
井原鉄道が高架を通過していくところに遭遇。
土手を進むと小田川にぶつかった。橋の名前は南山橋。
小田川を渡る。
南山城への案内はなかったが、天狗山古墳への案内はあった。南山城西にある古墳だとしたら、古墳伝いに縄張りに入れたかもしれない。
南山城北すぐそばを流れる小田川。ゆったりした流れだが大雨の時は牙を剥く。
道を進む。そろそろ登り口になる。
そして祠。この裏から取り付いて無理やり上る。
道はないのだが。
ちょっと進むと道らしきものが見えてくる。
さらに進むと浅めの堀がお出迎え。縄張りに入った模様。
北斜面に竪堀。
堀切を越えて曲輪に入るが結構な藪。
曲輪の真ん中を進むのは厳しいので北側の斜面沿いに進む。
ちょっと西に進み上を見ると曲輪へと繋がる虎口っぽく見える箇所があった、ピンボケで見づらくて申し訳ない。この時ほんとに虫が多くて少しでも立ち止まるとたかられた。
さらに西に進むと尾根を断ち切るような堀切。
堀切は竪堀につながっている。
竪堀は二重になっているのだが、手持ちの写真では撮れているのか不明だったので割愛。
堀切の西側は暫く平場。
平場の先には堀切のような切通。
切通の近くにはこんもりとした地形があり古墳と思われる。しかし、この古墳らしき地形が切通の東西どちらにあったのかは思い出せない。3年近く前なので仕方なし。
東に引き返すと、曲輪の切岸が見えた。薄い堀切も見える。
堀切から南側に向かうと畝状竪堀群である。畝状空堀と呼んだほうが最近ではしっくりくるのだが、畝状竪堀のほうが使われているだろうので畝状竪堀と記す。
記憶では畝状竪堀の写真大失敗で全滅に近いと思っていたが、今回記事にすることで再確認したが、全滅ではなかった。よかった。
畝状竪堀は近所にないので見るとやはり感動する。
あと回しにしていた曲輪に戻る。
曲輪中央あたりに仕切り土塁であろう土塁があり、一部かけて虎口になっている……のだが、この辺も虫が元気でろくな写真がなかったので次の一枚程度。
次の写真は撮る必要があったから撮ったのだろうがよくわからない。リボンの奥が土塁っぽくも見えるが、藪がそのように見えるだけかもしれない。
そして下山。現地では満足の行く訪問だったのだが、帰宅して写真を確認したらピンボケだらけでがっかりした思い出。
あまりにがっかりしたのでその年の12月に再訪問である。
打って変わって冬。遠景では木々が伐採されているのがわかった。ということは発掘調査が開始されるということか。発掘調査が始まると立ち入り禁止だろう。
小田川の橋あたりでズーム。
橋を渡って道路から。
歩みを進めると工事現場のようなものが視界に入った。
発掘調査に伴う木々の伐採工事だ。これは嫌な予感がした。
祠までたどり着くと立ち入り禁止の幟が。
工事関係者がその時いるのかわからなかったが、ここで立ち入って怒られるのもいやだし、マナーが悪いとのちの訪問者や現地説明会とかに影響出るかもしれんな、ということでここは素直に撤収した。9月に訪問しておいてよかった。しかし写真のリベンジはしたかったな。
麓の工事現場を通りかかるときに行きの時には気づかなかった伐採木をおろすシステムが視界に入った。どうやって伐採木を運ぶのか知らなかったのでよい知見を得た。
南山城再訪を諦めて川辺宿駅から西に向かい、猿掛城へ向かったのだが、川辺宿駅のホームからも南山城が見えた。
治水工事が終わると異なる景色になるのだろうな。
列車の待ち時間暇だったので景色を眺めていたのだが、北側を見ていたら鬼ノ城もうっすら見えた。あの復元門わかりやすいな。
南山城位置