
2015/1/某日訪問
網代山砦は長浜城近くの尾根先にある砦跡である。長浜城付属の施設だろう。現在砦と長浜城の間には切通状の道路があるのだが、かつては尾根続きだったかもしれない。
まだ早起きできる体だったので、この日は早朝から出発。当時はまだ東京上野ラインのない時で、東京駅始発沼津行きの東海道線に乗り沼津へ。主な目的は長浜城だったが、長浜城はネット上に訪問記録も多いので割愛する。長浜城→網代山砦→岩尻山砦→三津城→三津新城の順番で巡った。長浜城以外の城跡は記事にするかもしれない。
沼津駅下車。バスに乗り換え。
バスに揺られて城下橋バス停(現在バス停の名称が変わったような話を耳にした)で下車。バス停の写真撮り忘れたので下車した直後当たりの写真。長浜城跡重須口と思われる。
長浜城とは反対のほうを見上げる。この尾根の先端部が網代山砦である。道路で分断されているが元からなのか道路を通す際にこうなったのかは私は知らない。
「長浜城跡周辺の道」説明板の写真。網代山砦、岩尻山砦部分にも「城郭遺構」の印がついている。網代山砦の東、岩尻山砦の北にも印があるが、なんという名称の城郭遺構かは知らない。
光明寺の墓地から尾根に出ることが可能。
山道を進むと水道施設に出る。水道施設から上ると岩尻山砦で、下ると網代山砦となる。
水道施設のある場所は開けているので富士山が綺麗に見える。長浜城より標高は高い。
水道施設から下りに向かっていくと平場に出る。ここから縄張りと捉えてよさそうだ。
礫状の石がごろごろしているが礫なのかは不明。
更に下ると切岸っぽい急坂と平場。そこそこ広い。
平場の脇に下る道がついているのでそこを下るのだが、藪登場。
藪を抜けるとそこは堀切だった。この堀切がなければ畑跡なんじゃねーの? と思っちゃう感じである。
同じ堀切を反対側から撮影。
堀切から先は細い土橋があり、土橋を渡ると曲輪が2つあるようだが、藪が濃くなったので深追いせず引き返した。下手打って滑落したくないし。実際はちょっと進んだのだが、この先の行程が長かったので時間かけたくなかったというのも引き返した理由の1つ。
この砦単体で訪れるよりかは長浜城訪問のついでがよいだろう。
網代山砦位置
網代山砦入口位置