
2019/2/某日訪問
旧紀和町にある城跡。近くには有名な赤木城があり、紀和鉱山資料館では続日本100名城のスタンプが押せる。資料館のある集落は熊野本宮への道にあり、銅鉱も採掘されたので重要な土地であったと思われる。
赤木城には訪問済みで、訪問後に続日本100名城に選ばれた。苦労して訪問した場所なのでスタンプ押すためだけに再訪するのは嫌だな、と思い紀和鉱山資料館周辺に城跡はないのだろうか、『三重の中世城館』を調べたらいくつかあることがわかった。しかしネット上での訪問記録が少なく、座標と登山口が特定できず。『三重の中世城館』に掲載の文章と図を基におおよそのあたりをつけて紀和鉱山資料館へと向かった。
紀和鉱山資料館でスタンプを押す際に、スタッフの方に周辺の城跡について聞いてみたが知らないとのことだった。しかし『紀和町史』でわざわざ調べていただき、入鹿本城、入鹿本城詰丸、小栗須陣屋平、大栗須陣屋平の座標がわかった。スタッフの方には今でも感謝している。歴史については読み込む時間がなかったので割愛。このときは大栗須陣屋平以外の3か所を回った。大栗須陣屋平については入口はここかな、という記事を上げている。
『三重の中世城館』と『紀和町史』記載で明らかに異なったのが、『三重の中世城館』で小栗須城として書かれた城跡が、『紀和町史』では小栗須陣屋平であったこと。数少ない情報から、入鹿本城=小栗須陣屋平なのではないか、と思っていたがべつものであった。
紀和鉱山資料館からは入鹿本城、入鹿本城詰丸のほうが近いのだが、詰丸へのとりつきが不明。入鹿本城は現在は入鹿中学校になっており遺構はないようだ。ということでまずは慈雲寺からすぐに行ける小栗須陣屋平へ向かうことにした。
紀和鉱山資料館へは阿田和駅近くからバスで行き、資料館からは徒歩で訪問した。資料館近くの道の駅ではレンタサイクルもやっていると後で知ったので、次回訪問するときはレンタサイクルを借りるだろう。
まずは慈雲寺。石段と石垣の段階でそれっぽさを感じる。
石段を登って左手に更に階段がある。しかし階段の写真を撮り忘れた。この仏像群の裏の階段が墓地へと続く階段だ。
途中小さな平場があり、秋葉明神がまつられている。『三重の中世城館』。『紀和町史』ともにこの平場が図面に書き込まれているので縄張り内ということらしい。
秋葉明神からはゆるやかな坂を進む。
右手に墓地、左手に林。この林の中が小栗須陣屋平の縄張りである。
そのまま突入してもよかったが、伐採木が積まれており歩きやすくはなさそうだったので、まずは道に沿って歩いた。
曲輪を回り込むように道がついており、その道を伝っていけば伐採木を越えなくても曲輪の中に入れそうであった。
曲輪の斜面というか壁面には石積みっぽい箇所あり。
最上段の曲輪。
最上段の曲輪には中央に大きな窪みがある。窪みの中には水もあるので池跡と考えられる。最上段に池という組み合わせに不自然さを感じるが、どこかの時代では城館としての機能を失っており、その際に池が置かれたかもしれない。しらんけど。
池跡と思われる脇には祠。
井戸跡と思われる小さな穴。
最上段と2段目の曲輪の間の石積み。
2段目の曲輪。
堀切の1つもないので本当に城館跡なのかな、と思うも町史にも載っているので城跡なのだろう。
小栗須陣屋平には正直物足りなさを感じたが、次に向かった入鹿本城詰丸が見どころのある城跡だったので、訪問する際はセットで訪問するとよいだろう。
小栗須陣屋平位置
小栗須陣屋平入口位置
GPS ログ(入鹿本城含む)