
2016/04/某日訪問
川連城は川連仲利が築いたという平城。お地蔵さんの並ぶ土塁、川連天満宮にある石碑と説明板あたりが有名か。
宅地化された平城というイメージだったので、大平山下山後に日没までの時間つぶし程度の気持ちで訪問したのだが、掘り出し物の土塁を発見したので実りのあるものとなった。
花を愛でながら徒歩で永野川沿いを移動。
次は小さな土塁跡を見に県道309号を南下し始めたのだが、西側の路地をチラ見したところ、あやしげなモリモリとしたものが視界に入った。
近づくと明らかに土塁である。
この土塁は(訪問当時の 2016/04 時点で)ネット上で見たことがなかったので、土塁ではないのでないか、とも思ったが、現代人が塀としてこんな盛り土を民家周囲に設けるとは思えない。
ちょっと進むと土塁は直角に折れていた。
帰宅してから香川元太郎さんの図面で確認してみると北西の堀と土塁の角部分のようだった。堀は埋められたようだが、土塁は残ったらしい。
土塁の上には祠があり、祠近くには猫もいた。猫がいたから祠に気付いたのだが。
おそらく祠が土塁上にあったために破壊は免れたのだろう。とはいえ、いつまで残っているかわからないが(記事にしている時点で残っているかどうかもわからない)。
なお、この土塁は google ストリートビューでも見られる。
他にも名残がないかと周辺を歩いた。
私有地内に土塁っぽい箇所が2か所。不法侵入はしないで道路から撮影。あくまで「ぽい」である。
1か所目。正面の木の当たりがこんもりしてそうに見えた。
2か所目。祠が乗っているあたりがあやしい。
県道309号の西側見学を終えて東側へ移動。お地蔵さんの並ぶ土塁。
お地蔵さん並ぶ土塁の近くにちょっとだけ別の土塁が残っている。
うろうろしているうちに日没が迫ってきたので栃木駅へ移動。その途中、川連城北東に位置する場所に小さな神社があった。東宮神社という名で、川連城絡みの神社らしい。1563年皆川俊宗が鬼門除けおよび川連城の守護神として祀ったとのこと。
縄張りの南東の方には行ってなかったな、と思いつつ川連八幡宮にある石碑の写真で本記事おわり。
川連城位置
川連城北西土塁位置