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名山城

Posted on 2020/02/01 by ca Leave a Comment on 名山城

2017/3, 2018/3 訪問

名山城は『信濃をめぐる境目の山城と館 上野編』によると、歴史は不詳とのこと。松井田城の東にあるのでつなぎの城だったかもしれない。

名山城には2度訪問している。1回目はレポート済みの小日向の砦訪問後、2回目は1年後。2回訪問したのは初回が訪問未遂に終わったためである。

まずは初回の訪問未遂の記録をする。どちらかというと未遂のこちらがメインである。名山城自体の訪問レポートはネット上にあるので。

小日向の砦訪問後徒歩で南下。時刻は九十九川を渡った先の丘陵地の一部が名山城だ。

北側の麓には集落がある。集落に着いたころには 16:00 を回っていた。3月とはいえ日没が気になる時間だ。

集落の道を進んでいると新しめの熊注意の標示が電柱や木に巻かれていた。新しいのだが1枚は破れていた。新しいってことは最近熊が出たんだろうな、と思いながら歩みを進めていると向かいの道から地元の年配の方が歩いてきた。挨拶をするとどこに行くのかと聞かれたので名山城へと答えると城跡の存在をご存じの方だった。

名山城へ行くと言うと、昔は城跡へは簡単に上れたけど今は道がない、とのこと。いくつか入口があったとも。そして熊に注意の標示の話をすると、なんと熊の発見者はこの方であった。そして熊遭遇の武勇伝を暫く聞くことになったのであった。

熊が出てきたのは名山城の西隣の山の道沿いの斜面。座標はここ。この方はこの辺が散歩コースでいつものように歩いていたら遭遇したとのこと。3年近く前の対話なので詳細は忘れた。遭遇時間を覚えておけばよかった。遭遇したのはこの日の数日前とのこと。熊注意の標示が新しめだったので数日前に遭遇したからであった。

熊に遭遇したその方はとりあえず大きな声を出し続けたという。驚いた熊は山の中を引き返したそうだ。初回訪問日付近はそのあたりで熊の目撃情報が多かったらしい。北のほうの集落では、犬が食い殺されたそうだ。犬は鎖でつながれていたので熊から逃げられず食い殺されたらしい。

そこで思い出したのが小日向の砦付近で放し飼いにされていた犬。なぜ放し飼いになっていたのかそれで理解できた。熊に襲撃されても逃げられるようにであったのだろう。それならば仕方ない。とはいえ私は熊ではないのであんなに攻撃的でなくてもなぁ、と思った次第。

年配の方の熊遭遇武勇伝は繰り返され、日が沈み始めていた。タイミングを見つけて年配の方との話を切り上げに成功。熊の話を聞けたのはよかったが、日没前でなければもっとよかった。

年配の方との別れ際に名山城と書かれた辺りから以前は上れた、という情報を得ていた。南へ歩くと左右にソーラーパネルが広がっていた。遺構が破壊されていないとよいのだが。

下ったところに名山城址の標示が見えた。

標示の背後がかつての道のように見えたので上ってみる。

進むとすぐに藪。山には繋がっていそうなのでつっこもうと思ったが結構茨系植物が繁茂していて歩きづらい。ちょっと痛いし。

ということで日没も近いのでこの日は諦め。改めて別の登り口情報を探してから再挑戦することにした。

そして、道に戻るとちょうどさきほどの年配の方が折り返してきたところだった。上れたか? と聞かれたがトゲの植物が痛いので止めたと告げた。そのまま帰ることにしたのだが、年配の方も同じ方向だったのでしばらく同行することになった。熊遭遇ポイントを通りかかると、ここがそこだ、と教えていただいた。それで先ほど座標を示すことができたわけである。

初回の訪問未遂の話は以上である。

続いて2回目の訪問。1年後の訪問となった。以降は普通の訪問記録である。

訪問未遂後に検索したらソーラーパネルの柵沿いに登ればすぐに名山城の遺構に辿り着けるという情報を得ていた。

実際に柵沿いに歩いてみるとすぐに遺構に到達した。

北側の堀切。

堀切から北に尾根が続いているのでちょっと歩くとソーラーパネルを見下ろせた。ソーラーパネルは基本敵なのだが(城跡を潰すこともあるので)、今回は登り口になったので許す。

北の尾根から戻って南下。さくほどの堀切を越えると主郭である。土塁がぐるっと巡っているが、写真だと土塁が分かりづらい。目視だとわかる。

主郭の下には帯曲輪が数段。

南側には堀切がある。

堀切を過ぎて南に進むと尾根は東に向かう。この尾根のほうが主郭付近より藪が少なくて歩きやすい。

東西に伸びる尾根は宮坂氏の図面では遺構扱いになっているが、実際に歩いてみると自然地形のように感じた。

引き返して下山するのも億劫なのでそのまま東に進むと高度も下がる。

尾根の先端が大手らしいが虎口っぽいところは見当たらず。先端は斜面というより削られた崖のようになっていたので、虎口は削られたのかもしれない。以下、尾根先端周辺の写真。

名山城は近隣の松井田城、後閑城に比べればコンパクトで目立たない存在だが、熊と遭遇した年配の方との出会いにより私にとっては印象の残る城跡となった。

名山城位置

名山城北側入口位置

名山城東側入口位置

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Posted in 城, 群馬, 関東 Tagged 曲輪, 土塁, 堀切, 2017, 2018, 201703, 201803

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Author: ca

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