
2019年12月某日訪問
芥川山城の芥川孫十郎を三好長慶が攻めるために築いたのが帯仕山付城だという。読み方は「おびしやま」で合っているのだろうか。
この日の工程は高槻市立しろあと歴史館でスタンプを押す→帯仕山付城→芥川山城→真上城→今城塚古墳となった。当初の予定ではもっと回るつもりだったが芥川山城で結構時間を使ってしまった。
しろあと歴史館で芥川山城のスタンプを押し、ついでに歴史観を見学。
ガイド役のおやっさんが高槻のことをいろいろ教えてくれた。淀川の砂が積もって酒が売れなくなった話は興味深かった。
で、JR高槻駅北口からバスで塚脇下車。本数はそこそこあった気がする。バス停を降りると三好山とその周辺のガイドや行き方が記された案内板がある。スマホで撮影しておくとよいだろう。
アスファルトの坂道をガイドに従い進む。坂の上にも住宅地があるので大阪の住宅事情に思いを馳せる。自転車では電動アシストがないとしんどいだろうな、とか。
老人ホームを過ぎると緑が増え、ちょっと歩くと山に入る道が見える。
三好山=芥川山城である。先に帯仕山付城に行く予定だが、ひとまず三好山方面へ向かう。三好山手前の鞍部で帯仕山に入れる道があるはずなので、そこから登る予定だった。
山腹の畑地を左手に道なりに進む。
そろそろ鞍部。
鞍部にある三好山への案内標示。三好山の文字が大きいので気づきにくいが黄色地に黒字で「帯仕山」の文字も見える。この斜面側のほうが帯仕山への入り口になっているのだ。
山道。藪はないし道はしっかりしているので迷うこともない。迷ったとしても山頂を目指せばつくだろう。
12月の割に汗ばむ気候の中登っていくと、目の高さあたりの枝や幹に案内標示が続く。
そして山頂。斜面は草ボーボーなので山頂もそんな感じだろうと思っていたが違った。そして、住宅地がすぐそこ。住民の方に見られたら怪しまれるんだろうなぁ、などと思いつつ撮影。
山頂は平地で堀や土塁の類なし。ただ、縄張り図には南側に土塁と堀があると分かっていたので南下することに。
道がついているのだが、一部草ボーボー。
草ボーボーエリアを抜けると車が通れるほどの道になっているのだが、写真撮り忘れた。
GPS で座標を確認しつつ南下し、あたりをつけて斜面から土塁と堀あたりにとりついた。
目視だと土塁、虎口が分かったのだが、写真だと腕の問題もあるだろうが分かりづらい。
土塁。
虎口。
そして、縄張り図をよく見ると土塁と虎口の南側には堀があるようだ。現場にいた時の私は確認するのを怠ってしまった。痛恨の極みである。
帯仕山付城は山頂のみだとわざわざ訪問しなくてもいいかな、と思えるが土塁と虎口まで見るつもりなら芥川山城の見学ついでに寄るのはありだろう。
帯仕山付城位置
帯仕山付城入口(おおよそ)