
2019/09/某日訪問
浜田駅の西にあり、山陰本線の線路沿いにある島根県浜田市の三十城跡(別名:三重城)。現在は今宮神社になっている。駅近なので、駅に向かう途中寄り道してみた。
『石見の城館跡』では”三十城”、『島根県浜田市遺跡地図Ⅰ(浜田自治区)・仕切遺跡』では”三重城”という表記になっている。先に目を通したのが『石見の城館跡』だったので、ここでは三十城表記をメインとしている。読み方は不明だったがどっちも”さんじゅう”と読めるので”さんじゅうじょう”だろうか。
どちらの資料にも遺構は”郭、堀切”とあるが、いつの調査かは不明なので現状どうなっているか、と思いながらの訪問。
まずは遠景。山が奥と手前で2つ見えているのだが、写真では1つに見える。
神社なので入り口は鳥居だろう、ということで地図を見ながら当たりをつけたら鳥居発見。
鳥居をくぐって登ると遊具のある広場。お社はまだ先のようだ。この広場の先は細い尾根になっているので、ここは出丸といったところか。
尾根は舗装されているが、城であったならばこのあたりに堀切が欲しいところだ。
舗装路の両脇は基本藪なのだが、南側の下方が一部見える箇所があった。腰曲輪感のある細い平場に見えたが遺構なのかどうかは不明。
舗装路を進むと上と下への分かれ道。下に行っても城外に出るだけっぽいの上の神社境内へ。
神社境内。お社の高まりは曲輪だろうか。
今宮神社由緒の説明板。三十城の説明は特になし。
今宮神社拝殿。お邪魔します、の挨拶。
『島根県浜田市遺跡地図Ⅰ(浜田自治区)・仕切遺跡』に記載されている史跡範囲ではこのお社より背後が主郭っぽいし、窪みがあるのでそこが堀切だろう、ということでお社の脇を通る。
裏にはいかにもな階段。
階段を進むと手が入ってはいるが堀切に見える場所があった。
堀切の先が主郭っぽいのだが、私有地感満載だったので探索はここでおしまい。地理院地図を見ると道が記載されているので公道なのだろうか。
参考文献: 『石見の城館跡』、『島根県浜田市遺跡地図Ⅰ(浜田自治区)・仕切遺跡』
三十城位置
GPS ログ
昭和5年生まれで小学校は原井小学校を卒業しました。在校中今宮神社に「井戸平左衛門」の銅像が建てられたように思います。
しかし戦争が激しくなりすぐ銅像は供出され土台だけが残ったように思います。
このことについてある記述をしたいのですが、私の記憶誤りかもしれないのでご存じの方は教えていただけないでしょうか。