
2013/01/某日訪問
地名辞典オンラインによれば下古城は「しもふるしろ」と読むらしいので「しもふるじょう」と読めばよいだろうか。
下古城の集落の高い場所に子之神社がある。神社を主郭として北東に伸びる台地があり、川を堀と見立てれば川までが縄張りであろう。川に向かって段々の畑となっている。1段ずつがかつての曲輪だろうか。
訪問記録を記す。
この日は年始の富士を足柄城から見ようということで、朝から18きっぷで JR 足柄駅へ。JR 足柄駅→足柄城→深沢城→下古城→天神城という流れになった。最後に訪問した天神城は現地の掲示板で知った城跡なので急きょの訪問になったが、詳しくはリンク先を参照されたし。
下古城へは駅からではなく深沢城からの徒歩で行くことになった(深沢城の記事は書いていないがネット上に数多くの訪問記録があるし、私が記すよりも有益な情報が多いので記さない)。深沢城から下古城へは結構距離があるのだが、天気も良く富士を間近に眺めながらの徒歩なので苦痛ではなかった。
暫く田畑が続いたあとに集落が見えたきた。下古城の集落だ。
城への案内標示があるのは助かる。
主郭と思われる子之神社へ。
鳥居の脇に説明板があるが、神社の説明だけで城の説明はなし。
境内には低い土塁がある。
お社。
城の説明板はないけどこんなもんかな、と思いつつ日没も近いので JR 足柄駅に移動することにした。
駅への途中でさきほどとは別の案内標示があった。
その案内標示近くに地域の観光案内的な掲示板発見。
この掲示板発見により天神城のことを知ることになったのだが、それとは別にもう1つ気になる発見があった。
(天神城の記事の画像使いまわしで申し訳ないが)「子之神社」と「下古城跡」が別に記載されているのである。下古城跡の座標は子之神社から北にある。子之神社は下古城の縄張りに含まれるのは間違いないだろうが、掲示板に番号付きで記載されているということは、そこに説明版があるのでは、と私は推測。日没迫っていたが、速足で下古城の縄張り内に戻ることにした。
子之神社から北側は段々畑になっている。1段当たりの面積が広いので棚田的な段々ではないが、一応段々畑である。1段ずつが曲輪だったかもしれないがそうではないかったかもしれない。
道なりに進むと、荷台だけとなったトラックがあったりしたが、城跡とは無関係である。
川の近くの段。その先は川のようだが、確認はしていない。川までの高さを確認しておけばよかった。
で、台地の先端付近の西側に祠がいくつかあり、そこに下古城跡の説明板も立っていた。掲示板の番号付きポイントはやはり説明板がある、という意味だったようだ。
わざわざ戻ってまで見に来た説明板であったが、文字が掠れてまともに読めない状態であった。この後に訪問した天神城よりも状態は悪いので、読み取るのは難しそうだ。
下古城位置
下古城説明板位置(おおよそ)
5年ほど前の記憶なので説明板位置は正確ではないかもしれないが、撤去や朽ちていなければ示した辺りにあるはず。